金沢や富山にまつわる市街地の開発・再開発情報、街並み・景観にまつわる写真などを掲載しています。
久しぶりに、小松空港周辺でカーゴルクス航空のB747-8機を見てきました。
もともと、ジャンボジェットが見れるのは北陸では小松空港のみですが、JAL及びANAのジャンボ機撤退と、北陸新幹線が開業した影響などが重なり、小松空港も便数は維持しているものの、小さな飛行機しか来なくなり、寂しいです。
そんな中唯一、ジャンボ機でやってくるのは、貨物便のカーゴルクス航空です。
3年前に機体を最新のB747‐8に新調しました。
両翼の先端がとがっているあたりがカッコイイです。
私がカーゴルクスを見たのは今年2月以来かな。
小松空港デッキから。2015年3月からデッキの利用料金が無料となりました!
荷卸しの様子です。
ANAとのコラボ
F15戦闘機とのコラボ。
カーゴルクス航空とF15戦闘機が同時に見れるのは、世界を探してもここだけではないでしょうか。
遠く、小松の街に別れを告げます。
そして、滑走路ギリギリまで滑走し、離陸していきました。
ちなみに!
小松基地航空祭2015は、2015年9月21日(月)に開催予定です!!
シルバーウィーク期間中となり、多くの来場者が見込まれます。
先日、単焦点レンズを買いました!
単焦点レンズとは、端的に言うと、ズームができないレンズといった感じでしょうか。
単(一つの)焦点を持ったレンズという意味です。
だから、ズームで近寄るのではなく、自分が近寄ったり離れたりして撮らなければなりません。
しかし、被写体との距離など学べることが多くカメラを勉強するにはもってこいのレンズと言えるでしょう。
そして、単焦点レンズの魅力とは、明るいレンズが多いこと。
絞り値が小さく、綺麗にボケてくれます。
さて、説明が長くなりました。。。
私が購入した単焦点レンズは35mm単焦点レンズです。
人が見ている光景をレンズ換算すると50mmだと言われています。
私の持っているカメラは、センサーサイズがAPS-Cなので、フルサイズ35mm換算でいくと50mmとなります。
こちらは、D5300のキットレンズである、AF-S NIKKOR 18‐55mm 1:3.5‐5.6GⅡ を装着した写真です。
こちらは、35mm単焦点レンズ AF‐S NIKKOR 35mm 1:1.8G を装着した写真です。
単焦点レンズの方が重いですが、レンズの長さは若干短いのでコンパクトさでは優位です。
フードをつけた状態がこんな感じ。
横から見るとこんな感じです。(おお...カッコイイ!)
少しだけですが作例を…
こちらは絞り値をF5で撮影しました。玉ボケも良好です。
こちらは絞り開放(F1.8)で撮影。背景の雑雑とした感じがさらに無くなりました。
ダンボーも浮かび上がって見えます。
金沢の写真から1枚。夕暮れ時でしたが、手持ちで撮影できました。
提灯が浮かび上がり、背景も見事にボケてくれました。
少しだけですが、35mm単焦点レンズのおさらい
・絞り値が低い
→撮影したときに明るい
→夜の写真に強い
→よくボケる
→被写体を強調できる
→より一眼レフらしい写真が撮れる
→雑雑とした背景が目立たなくなる
・自分でピントやアングルを合わせる
→カメラの勉強になる
→新たな発見、新たなアングルが見つかるかも
といった感じでしょうか。
とても買って満足しているレンズです。
【お知らせ】【加筆】小松基地航空祭のF15戦闘機機動飛行は例年通り行われる予定です!!(2015年8月27日加筆)
今年は、2015年9月21日(月)に開催予定です!
私も一眼レフとレンズを揃え、今年こそは…と地元の航空祭に気合を入れていますが、一部ではこんなうわさが…
「今年の小松基地航空祭はF15戦闘機の機動飛行が無い」
はじめは、”まさか・・・”と思いました。小松基地航空祭といえば、F15戦闘機を2飛行隊で40機保有している小松基地で行われる航空祭…
F15戦闘機を本州で見るなら小松、ともいえるほどで、F15戦闘機の機動飛行を見るために全国からファンが訪れます。
なぜ、F15戦闘機の機動飛行が無い可能性があるのか、皆様の憶測をまとめると、
「スカパーでサッカー大会があるから」
スカパー=テレビ…ではなく、スカイパークこまつ翼の略です。
スカイパークこまつ翼は、サッカー、ゴルフ、ソフトボール、ラグビーができる多目的広場です。
こんな感じで、芝生が広がっている気持ちの良い広場です。
実は、ここも飛行機撮影のスポットとして知られています。
スカイパークこまつ翼の敷地内から撮影した写真がこちら。
野球場の奥に滑走路があります!
ここまで近接した場所も珍しいかもしれません。
昨年訪れた際は、F15戦闘機も敷地内から見えました。
【地図で確認すると・・・】 基地とスカイパークこまつ翼の位置はこんな感じです。 スカイパークこまつ翼(写真左側)は誘導路に隣接しており、滑走路(小松空港(写真右上)と供用)も目と鼻の先です。 航空祭の本会場となる小松基地(写真右下)も近く、サッカー大会となると、騒音が尋常じゃないかもしれません。 【そして、開催されるサッカー大会というのが…】 「日本スポーツマスターズ2015 石川大会」 日本スポーツマスターズは、2001年から始まった35歳以上を対象としたスポーツ大会で、全国持ち回りで開催されていますが、石川県は2011年に次いで2度目の開催です。2011年もスカイパークこまつ翼で同様のサッカー大会が行われましたが、航空祭自体が10月末に予定されていたことに加え、この年は燃料タンクの落下で航空祭そのものが中止となったので、過去の事例の参考にはなりません。 各競技の日程と組み合わせ(http://onair-blog.jp/masters2015/entry/219253.html)を見てみると、航空祭当日もサッカーの試合は3つの時間帯で、5試合行われる予定です。 さらに、こちらのサイト「小松の空~小松飛行場物語~」(個人様のHPです)を確認すると、 ”祝祭日、中学、高校の入試日、卒業式や入学式の日、地元のお祭り、イベント時は、 小松基地の戦闘機は飛びませんので、小松空港展望デッキに見学に来る場合、注意してください。” (以上引用) と、書かれており、F15戦闘機の機動飛行時に、サッカーの試合が行われるとすると、試合に支障が出る可能性があるため、もしかすると今年の機動飛行は見送られる可能性がありますね。しかし、私的には機動飛行こそがこの基地の魅力なので、ある事を祈りたいです。 【ブルーインパルスの見れる可能性は?】 F15戦闘機の機動飛行が見れ無い可能性があるなら、ブルーインパルスは?ということですが、 航空自衛隊の、平成27年度 ブルーインパルス・イベントスケジュールを見てみると、 http://www.mod.go.jp/asdf/pr_report/blueimpulse/schedule/ 平成27年度小松基地航空祭の文字が書かれています。 もしかすると、ブルーインパルスは通常通りアクロバット飛行をするのかもしれませんね。 まだ憶測でしか書けませんが、小松基地も地域の受け入れがあってこそ、関係が成り立っているので、もしかしたら今年は機動飛行が無い可能性がありますね。ただ、新年度には新田原基地からアグレッサーが小松基地に移転してくるので、来年の航空祭は期待できるのではないでしょうか。 詳しい情報が入り次第、また書き直します。 【お知らせ】【加筆】小松基地航空祭のF15戦闘機機動飛行は例年通り行われる予定です!!(2015年8月27日加筆)
もはや、富山の観光地として数えられるようになった「富岩運河環水公園」
昼も素敵ですが、夜もライトアップされ、昼とは違う顔を見せてくれます。
天文橋です。時間によってはこうやって青に染まります!
上には赤い糸が。
桜並木も、夜には幻想的にライトアップされます。
こちらが、世界で最も美しいスタバで有名な?環水公園のスタバです。
テラス席もあり、公園を見ながらスタバを堪能できます~
オシャレです~
決まった時間帯になると、水のカーテンが出現します!
水のカーテン越しに眺める、環水公園の天文橋
こんな感じで、夜景が美しい、夜の環水公園でした。
戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。
大東亜聖戦大碑は、石川県護国神社にあります。
石川県護国神社は、明治元年からの石川県民の英霊をお祀りしているそうです。
昭和10年に旧小立野練兵場(現地)に移転しました。
大東亜聖戦大碑がこちらです。2000年に建立されました。
太平洋戦争は戦前、大東亜戦争と呼ばれていました。
この戦争を「聖戦」と呼ぶべきなのか、議論も様々あるようです。太平洋戦争で日本人が欧米を中心とした連合国軍と戦ったことで、戦後の当時弱者的立場であったアジア諸国やアフリカ諸国の独立へ希望が生まれたというような旨で聖戦だという意味だそうです。
私がこの碑に対しては賛成・反対という意志はないですが、この碑は今後恒久的に残っていくことでしょう。
そして、戦前・戦後を支えた方がいるからこそ今があるということを忘れてはならないということを考えさせられました。
戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。
今回は旧第九師団長官舎です。
大正11年建築の建物です。第九師団が設立された明治31年から20年余り後に建てられた建物です。保存状態も良好です。
師団長の官舎は立派なもので、当時の建築の意匠がいたるところに残っています。
5年前くらいまでは、広坂休憩館として一般開放されていました。そして、石川県立美術館別館となり会議場として使用され、現在は美術館の修復工房として戦後に増築された部分を壊し、再増築中です。
煙突もありますね。
第九師団司令部跡の建物同様、木材がピンク色に塗られています。
裏庭の様子です。芝生張りで寝転がると気持ちよさそうな感じです。
こういった師団長の官舎は全国に5か所残っているそうです。
戦後70年ということで金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。
今回は旧陸軍金沢偕行社です。
旧陸軍金沢偕行社は、第六旅団司令部、第九師団司令部が建てられた同じ年の明治31年に金沢城の北側の大手町に建てられました。
そして、明治42年に現在地へ移築されたそうです。
偕行社は、旧日本陸軍の将校クラブで、全国各地に建てられたそうです。その中でも現存する3都市の偕行社は国の登録有形文化財に指定されているとのこと。(金沢偕行社は石川県の有形文化財です。)
偕行社は、隣に移築されている第九師団司令部と比べても大変凝った華やかな建築となっています。
随分とモダンな建物に。
細部まで凝った作りとなっています。
少し老朽化した部分が見えていますね。
2階の窓はこんな感じです
10年前までは石川県庁の分室として利用されていましたが、現在は石川県立歴史博物館分館という名称になっています。
内部は入れませんが、当時の歴史を伝えるものなので、是非保存してほしいです。
戦後70年ということで金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。
第九師団司令部は明治31年に金沢城内に設置されました。
石川県の登録文化財となっています。
建物は昭和43年に現地(出羽町)に移築されました。
その際に両翼が切り詰められ、中央部分しか残っていませんが、明治建築としては保存状態も良い方なのかもしれません。
第九師団は、明治31年に創設され、日露戦争では大きく活躍したそうです。
第二次世界大戦では創立されてから最も歴史のある師団の一つで、沖縄防衛戦の中核となる予定でしたが、突如台湾へ抽出され、連合国軍と交戦することなく役目を終えました。
第九師団が金沢に不在だったため、空襲が避けられたという一説もあります。
外観は数年前まで朽ち果てておりボロボロでしたが、塗り直されました。まさかピンクに塗り直されるとは思わなかったです。
換気口には五芒星が…ありません。そして、換気口の真上にはかつて煉瓦が組まれていたことを思わせる扇形の模様が残っていますね。
当時の壁面は漆喰だったそうですが…現在はモルタルになってます。
是非、漆喰の壁面を復活させてほしいです。
隣接して、偕行社が移築されています。
こうした軍都の遺跡を見られるのは貴重です。
戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。
今回は金沢城内にある旧陸軍の作ったトンネルです。
それが、こちら。場所は鶴の丸と本丸の間(橋爪門近く)にあり、石垣をくりぬいて作られています。
元々は、弾薬庫への連絡路として整備されたそうです。
こちらも保存状態が比較的良いものとなってます(少し内部の天井が心配ですが)。
明治期から大正期に作られたものだそうです。
石垣と煉瓦の境目はこんな感じになっています。
反対側から見た様子です。
明治・大正期(そして戦前?)はこのあたりに弾薬庫があったのでしょうか。
現在もひっそりとトンネルだけ残っています。
今年で、戦後70年となります。金沢は江戸時代は加賀百万石の城下町として栄え、大きな戦もない平和な時代が続きました。そして、廃藩置県後は、多くの武士で支えられていた金沢の街は武士の失職等で経済面に大きなダメージがあり、大きく衰退したそうです。そこで、明治8年の”第七連隊司令部”と、明治31年の"大日本帝国陸軍 第9師団司令部"が金沢城内に設置されたことにより、金沢は明治~昭和前期まで軍都として栄えることとなります。
第二次世界大戦中は、隣県の富山市や福井市は空襲で甚大な被害がありましたが、金沢市は第9師団が台湾へ転出していたため不在だったことや標的となる軍需工場が無かったため、空襲当日に曇っていて標的が見えなかったため?など、様々な憶測もありますが空襲を免れ、石川県自体も死者数は全国最小でした。(死者数は最小でしたが決して被害がなかったわけではないことを忘れずに)
このことから金沢は、軍都ながらも空襲は受けることがなかったため、今でも江戸・明治期・昭和前期までの戦争遺跡が数多く残っています。
前説が長くなりましたが、今回は第六旅団司令部を取り上げます。
第六旅団司令部は明治31年につくられました。
同じ明治31年には第六旅団を統括する第九師団司令部も金沢に作られており、軍都であった様子も分かります。
第六旅団司令部は、シンメトリーで瓦葺きとなっています。規模はそこまで大きなものではなく、当時も比較的こじんまりとしていたそうです。
土台は煉瓦積みとなっており、風格があります。
換気口には陸軍に用いられていた五芒星があります。
戦後は、金沢大学の施設に使われていたこともあり、外観の保存状態は良好でした。