金沢や富山にまつわる市街地の開発・再開発情報、街並み・景観にまつわる写真などを掲載しています。
めいてつエムザより、百万石通りを撮影。
ビルの谷間に緑が生い茂る。ビル好きにとってはたまらないです!
写真投稿サイト『instagram』にも掲載しましたが、こんなところに歩道橋あったっけ?などコメントいただきました。不思議な感じですよね。
この景色ずっと眺めていても飽きないですね。バスが次々と来て街が動いている感覚が体感できます。
高さ制限が設けられ、びっしりと同じ高さのビルが並びます。この武蔵界隈にはコメダや王将が出店しました。王将については二度と片町みたいな金沢の恥となるようなことが起きてほしくないですね。
最近は駅西移転が加速化している中、北陸最大のオフィス街が10年後、20年後にこの状態で残っているのか分かりませんが、歯抜けになることなく、ビル街として維持していけたらなと思います。
↑ふらっとバス(材木町ルート)
↓ふらっとバス(長町ルート)
そして、パチンコタイガー武蔵店跡地には『すしざんまい』が約200席ですしざんまいの店舗最大級の『武蔵東洋店』がOPENしますね!パチンコタイガーを運営する東洋コンツェルンは焼肉寅亭やサイエンスヒルズこまつのレストラン(完成予定)など飲食事業にも力を入れてますね。
武蔵が辻復権たのしみです!
先日、本多の森を散策しました。なかなか時間もなく記事にできなかったので少し遅れましたが…。
本多の森は金沢市中心部のオアシス的存在です。上の写真は鈴木大拙館のサンクンガーデンへのアプローチ階段です。21世紀美術館から徒歩10分あれば着くような近さです。
こちらは松風閣庭園です。
松風閣庭園は江戸時代初期に、古沼と自然林を生かして作庭された庭園で、霞ヶ池の周辺には多くの大木が植生し、本多の森と一体の樹林を形成しています。この豊かな樹林を背景にして、蓬莱島を浮かべる霞ヶ池は、奥行きと広がりを感じさせ、静寂で深遠な庭園空間を構成しています。また、旧加賀八家本多町下屋屋敷跡に位置する庭園は、本多家ゆかりの松風閣が移築され、かつて辰巳用水から霞ヶ関に導水されていた水路跡を遺すなど、旧加賀八家筆頭本多家の威光を今に伝えています。
元和元年(1615)、本多政重が3代藩主利常から現在地の周辺一帯約10万坪を与えられ、下屋敷地として本多家家臣団が居住する区域となりました。本多家2代政長は茶人の金森宗和と親交があり、宗和の子方氏が寛永2年(1625)宗和の代人として加賀藩に仕えたことから、その指導を受けて作庭したものと推定されます。明治19年(1886)に元本多家上屋敷から移築された旧広坂御広式御対面所が、明治40年(1907)現在地に再移築された際に「松風閣」と改称され、庭園も松風閣庭園と呼ばれるようになりました。昭和43年(1968)、北陸放送会館が竣工し、松風閣に増築するかたちで高台荘が完成しましたが、その際に庭園の曲水、護岸の一部が改修され今日に至っています。
松風閣庭園は作庭当初の雰囲気を色濃く残す武家庭園の遺構であり、市内に類例のない旧加賀八家ゆかりの庭園として兼六園、成巽閣庭園、西田家庭園とともに各武士階層の庭園を代表するものとして極めて重要です。(金沢市ホームページより引用
)
しっかり苔が管理されている、金沢でも指折りの美しい庭園です。
松風閣を望む。『旧広坂御広式御対面所』という格式高い建物だったそうです。
庭と建物がしっかり調和しています。
ローアングルで。木の太い根と古い灯篭がなんとも日本らしい風情があります。
右に見えるのは陶芸工房です。
松風閣前の庭です。白い砂利は波紋を描けば立派な石庭にもなりそうですね。
松風閣庭園の中央にあるのは霞が池です。霞が池といえば兼六園ですが、実は金沢には2つ霞が池が存在するんですね。(以前にも書いたような・・・)